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松山地方裁判所 昭和54年(ワ)572号 判決

原告

井村祥子

原告兼原告井村祥子法定代理人後見人

井村多恵子

原告

井村勝彦

右原告ら訴訟代理人弁護士

西嶋吉光

被告

亡谷池唯夫訴訟承継人

谷池陽子

亡谷池唯夫訴訟承継人

西野博子

亡谷池唯夫訴訟承継人

谷池五十鈴

右被告ら訴訟代理人弁護士

菅原辰二

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告谷池陽子(被告陽子)は、

(一) 原告井村祥子(原告祥子)に対し、金五〇四二万六二七一円及び内金四四六二万五〇二一円に対する昭和五一年二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を、

(二) 原告井村多恵子(原告多恵子)に対し、金四八八万四四二五円及び内金四三二万二五〇〇円に対する昭和五一年二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を、

(三) 原告井村勝彦(原告勝彦)に対し、金二八二万五〇〇〇円及び内金二五〇万円に対する昭和五一年二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を、

それぞれ支払え。

2  被告西野博子(被告博子)は、

(一) 原告祥子に対し、金二五二一万三一三五円及び内金二二三一万二五一〇円に対する昭和五一年二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を、

(二) 原告多恵子に対し、金二四四万二二一三円及び内金二一六万一二五〇円に対する昭和五一年二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を、

(三) 原告勝彦に対し、金一四一万二五〇〇円及び内金一二五万円に対する昭和五一年二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を、

それぞれ支払え。

3  被告谷池五十鈴(被告五十鈴)は、

(一) 原告祥子に対し、金二五二一万三一三五円及び内金二二三一万二五一〇円に対する昭和五一年二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を、

(二) 原告多恵子に対し、金二四四万二二一二円及び内金二一六万一二五〇円に対する昭和五一年二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を、

(三) 原告勝彦に対し、金一四一万二五〇〇円及び内金一二五万円に対する昭和五一年二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を、

それぞれ支払え。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告祥子は、原告勝彦と原告多恵子の長女である。

(二) 亡谷池唯夫(亡唯夫)は、小児科を専門とする医師で、谷池小児科(被告医院)を開業していた。

2  事実の経過

(一) 原告祥子は、昭和五一年二月一七日午後四時三〇分ころ、小学校の運動場でマラソンの練習をしていたところ、めまいを起こし、その場に倒れた。原告祥子は、その後、医務室に運ばれた。

(二) 原告多恵子は、同日午後四時五〇分ころ、小学校から連絡を受け、原告勝彦とともに原告祥子を小学校まで迎えに行き、同日午後五時三〇分ころ、被告医院に原告祥子を連れて行った。

(三) 原告祥子は、同日午後五時三五分ころ、亡唯夫の診察を受けた。亡唯夫は、同日午後五時四〇分ころ、原告祥子に対し、エンスパン注射及びコラミン注射を打ち、被告医院に入院させた。

(四) 原告祥子は、同日午後六時ころ、被告医院二階の病室にいたところ、突然激しい全身けいれんを起こし、亡唯夫がルミナール(けいれん止め)注射を二本打ったにもかかわらず、右けいれんは止まらなかった。

(五) 亡唯夫は、原告祥子を八幡浜市立病院に転院させた。

(六) 原告祥子は、八幡浜市立病院で更にけいれん止めの注射を数本打ってもらったが、けいれんはなお数時間持続し、翌一八日午前三時三〇分ころに止まった。

(七) 原告祥子は、右けいれんが収まった後、半身不随及び言語不能となり、その後各地の病院等で治療を受け、歩行は可能となったものの、右手が不自由なままであるため食事、排泄、着替え、入浴等につき他人の手を必要とし、また会話も三言以上できないような重度身体障害者の状態にある。

3  診療契約

原告祥子、原告多恵子及び原告勝彦と亡唯夫とは、昭和五一年二月一七日、原告祥子を診療する契約を締結した。

4  亡唯夫の責任

(一) けいれんの発生

(1) 債務不履行

ア てんかん患者に対してはコラミンを投与してはならないところ、原告祥子はてんかん症状を有していたから、亡唯夫は、原告祥子に対しコラミンを注射すべきではなかったにもかかわらず、軽率に右各注射を打ったため、原告祥子が激しいけいれんを起こした。

イ 亡唯夫は、原告祥子に対し、エンスパン及びコラミンを注射する必要がなかったにもかかわらず、原告祥子の年令、体調及び病状等を十分に診察せず、右各注射をしたため、原告祥子が激しいけいれんを起こした。

(2) 因果関係

原告祥子に起こったけいれんは、コラミンの副作用によるものである。なぜなら、コラミンにはけいれん誘発効果があり、けいれんが起きたのは原告祥子にコラミン注射を行ってから二〇分経過したころであり(薬剤の発効時間は、一般に静脈注射では四ないし五分以内、皮下注射では一〇ないし一五分以内とされており、個体差や注射時の身体の状態によっては三〇分以上経過後に薬効が現れることもあるとされている。)、被告医院や八幡浜市立病院でけいれん止めの注射を打ったにもかかわらず、その効果が現れなかったのは、けいれんを誘発したコラミンの薬効が残っていたためと考えられるからである。

(二) けいれんの持続

(1) 債務不履行

医師は患者にけいれんが長時間持続する場合にはディアゼパムを静脈注射するなどして右けいれんを止めなければならないところ、原告祥子には長時間けいれんが持続していたのであるから、亡唯夫は、原告祥子に対しディアゼパムを静脈注射するなどして右けいれんを止めるべきであったにもかかわらず、これを怠り、右けいれんを止めなかったため、原告祥子に重大な障害を残した。

(2) 因果関係

亡唯夫が原告祥子のけいれんを早期に止めていれば、原告祥子は重大な後遺症を残さなかった。なぜなら、けいれんが長時間持続すると一時的な呼吸停止による酸素欠乏、抗けいれん剤の副作用、二次的な脳の浮腫などを起こし、重篤な後遺症を残すからである。

5  損害

(一) 原告祥子に生じた損害 一億〇〇八五万二五四一円

原告祥子は、長時間にわたる激しいけいれんのため、右半身不随及び言語不能となった。

(1) 治療費 二四二万円

ア 八幡浜市立病院 五七万円

原告祥子は、右半身不随及び言語障害の治療のため八幡浜市立病院に、昭和五一年三月二二日まで検査及び治療を受け、また中学入学までの七か月間指圧を受けるなど、合計三五日入院し、一七五日通院をした。それに要した費用は、五七万円である。

イ 東京女子医科大学病院 五九万円

原告祥子は、昭和五一年三月二五日、八幡浜市立病院から東京女子医科大学病院に転院し、右半身不随及び言語障害の治療のため、二〇日間入院して診察及び検査を受け、同年八月末まで一〇〇日間通院して知能訓練等を受けた。それに要した費用は五九万円である。

ウ 入間川病院 一五万円

原告祥子は、昭和五一年四月から同年八月までの間に、右半身不随及び言語障害の治療のため、二週間入間川病院に入院して治療を受けた。それに要した費用は一五万円である。

エ 金子指圧医院 四九万円

原告祥子は、昭和五一年四月から同年八月までの間及び昭和五二年八月に、右半身不随及び言語障害の治療のため、一四〇日間金子指圧医院に通院して治療を受けた。それに要した費用は四九万円である。

オ 大阪国立病院 二万円

原告祥子は、昭和五二年八月、右半身不随及び言語障害の治療のため、大阪国立病院に三日間通院して診察を受けた。それに要した費用は二万円である。

カ 愛媛大学医学部付属病院 五〇万円

原告祥子は、右半身不随及び言語障害の治療のため、昭和五二年四月以降愛媛大学医学部付属病院に二〇日通院し、また同年一〇月二〇日から昭和五三年一月三〇日までの一〇三日間入院して治療を受けた。それに要した費用は五〇万円である。

キ その他の治療費 一〇万円

原告祥子は、右半身不随及び言語障害の治療のため、前記治療以外に、針治療や祈祷等で一〇万円を要した。

(2) 交通費及び宿泊費 二四二万五〇〇〇円

ア 東京滞在費 二三二万五〇〇〇円

原告祥子は、右半身不随及び言語障害の治療のため、前記東京女子医科大学病院、入間川病院及び金子指圧医院等に通院する際に、東京に滞在する費用として二三二万五〇〇〇円を要した。

イ 大阪滞在費 一〇万円

原告祥子は、右半身不随及び言語障害の治療のため、前記大阪国立病院等に通院する際に、大阪に滞在する費用として一〇万円を要した。

(3) 養護学校費用 二九五万二〇〇〇円

原告祥子は、前記激しいけいれんによる障害のため、原告多恵子及び原告勝彦の元を離れて愛媛県温泉郡重信町見奈良にある愛媛県立第三養護学校中等部へ入学せざるを得なくなった。右養護学校に在学するためには、少なくとも一か月当たり四万一〇〇〇円の費用を要するので、卒業までには二九五万二〇〇〇円の費用を要する。

四万一〇〇〇円/月×一二月×六年=二九五万二〇〇〇円

(4) 逸失利益 二七六五万三〇四一円

原告祥子は、前記激しいけいれんを起こす前は当時一一才の健康な女子であり、前記障害を受けなければ一八才から就労可能な六七才まで少なくとも一年当たり一三五万一五〇〇円の収入を得ることができたものである。ところが、前記激しいけいれんにより右半身不随及び言語不能となったため、その後の前記治療により歩行可能となったものの、右手が不自由なままであるため食事、排泄、着替え、入浴等につき他人の手を必要とし、また会話も三言以上できないような状態であり、重度身体障害者となったのであるから、その労働能力喪失率は一〇〇パーセントである。したがって、原告祥子は、亡唯夫の治療行為により、得べかりし利益二七六五万三〇四一円を喪失した。

135万1500円/年×20.461=2765万3041円

(5) 慰藉料 一〇〇〇万円

原告祥子は、前記障害を受けるまではマラソン選手として練習に励むなど普通以上に健康な女子であった。ところが、前記激しいけいれんとそれによる障害の治療のために、一七二日間の入院と四三八日間の通院を余儀なくされたうえ、将来も回復の見込みのない重度身体障害者の状態で今後生きていかなければならず、原告祥子は甚大な精神的・肉体的苦痛を被った。その苦痛に対する慰藉料は一〇〇〇万円が相当である。

(6) 付添看護料 四三八〇万円

原告祥子は、養護学校高等部を卒業する一八才から死亡するまで(平均余命六〇年)、自宅にて看護を要する者である。そして、原告祥子の知能程度が三才児位であるので、目を離すことができないなど何かと気苦労が絶えないことを考慮すると、家族の付添看護ではあるが、少なくとも職業的付添人の一日当たりの賃金四〇〇〇円の二分の一である一日当たり二〇〇〇円の看護料を要する。したがって、原告祥子の付添看護料は少なくとも四三八〇万円である。

二〇〇〇円/日×三六五日×六〇年=四三八〇万円

(7) 弁護士費用 一一六〇万二五〇〇円

原告多恵子は、原告祥子を代理して、本件訴訟の追行を原告ら訴訟代理人に委任し、その着手金として請求金額の三パーセントに相当する額を、また成功報酬として認容額の一〇パーセントに相当する額を支払うことを約した。したがって、少なくとも一一六〇万二五〇〇円の弁護士費用は、亡唯夫の不法行為と相当因果関係がある。

(二) 原告多恵子に生じた損害九七六万八八五〇円

(1) 逸失利益 三六四万五〇〇〇円

原告多恵子は、喫茶店を開業するため、昭和四九年から五年の予定で、喫茶「ショウボート」に勤務し、一二一万五〇〇〇円の年収を得ていた。ところが、原告祥子の前記激しいけいれん及びそれによる障害の治療のために、右勤務を止めざるを得なくなった。したがって、原告多恵子は、亡唯夫の不法行為により、三年間右喫茶店で働くことによって得べかりし利益三六四万五〇〇〇円を喪失した。

一二一万五〇〇〇円/年×三年=三六四万五〇〇〇円

(2) 慰藉料 五〇〇万円

原告祥子は、原告勝彦及び原告多恵子の長女であり、きわめて健康で、友達からも好かれる明るい性格の少女であり、原告勝彦及び原告多恵子は、原告祥子の将来を楽しみにしていた。ところが、前記激しいけいれんによる障害のために原告祥子が重度身体障害者となり、原告勝彦及び原告多恵子は失意のどん底におとされた。それでも病院での治療を始め、針・指圧・信仰など障害の克服に八方手を尽くしてきたが、回復の見込みもなく、何度も絶望して親子共々死のうとさえ思った。現在でも、原告祥子の体調が不安定なため、原告祥子が再びけいれんを起こし、ついには死亡するのではないかとの不安から一日として気の休まることはなく、また学校を卒業した後の原告祥子の長い人生を考えると不安ばかりがつきまとい、原告勝彦及び原告多恵子は暗い気持ちで過ごす毎日を送っている。したがって、原告多恵子の右精神的苦痛に対する慰藉料は、五〇〇万円が相当である。

(3) 弁護士費用 一一二万三八五〇円

原告多恵子は、本件訴訟の追行を原告ら訴訟代理人に委任し、その着手金として請求金額の三パーセントに相当する額を、また成功報酬として認容額の一〇パーセントに相当する額を支払うことを約した。したがって、少なくとも一一二万三八五〇円の弁護士費用は、亡唯夫の不法行為と相当因果関係がある。

(三) 原告勝彦に生じた損害 五六五万円

(1) 慰藉料 五〇〇万円

前記(二)(2)と同様な理由により、原告勝彦の精神的苦痛に対する慰藉料は、五〇〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用 六五万円

原告勝彦は、本件訴訟の追行を原告ら訴訟代理人に委任し、その着手金として請求金額の三パーセントに相当する額を、また成功報酬として認容額の一〇パーセントに相当する額を支払うことを約した。したがって、少なくとも六五万円の弁護士費用は、亡唯夫の不法行為と相当因果関係がある。

6  相続

亡唯夫は平成二年八月二二日死亡し、同人の妻被告陽子が亡唯夫の債権・債務の二分の一を、同人の子被告博子及び被告五十鈴がその各四分の一をそれぞれ相続した。

よって、原告祥子は、被告陽子に対し、原告祥子と亡唯夫間の前記診療契約の債務不履行に基づく損害賠償金一億〇〇八五万二五四一円及びそのうち弁護士費用を除いた八九二五万〇〇四一円に対する債務不履行の日の後である昭和五一年二月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金のうち、被告陽子が相続した五〇四二万六二七一円(一円未満四捨五入)及び内金四四六二万五〇二一円(一円未満四捨五入)に対する昭和五一年二月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。また、原告祥子は、被告博子及び被告五十鈴それぞれに対し、右損害賠償金及び遅延損害金のうち、被告博子及び被告五十鈴がそれぞれ相続した二五二一万三一三五円(一円未満四捨五入)及び内金二二三一万二五一〇円(一円未満四捨五入)に対する昭和五一年二月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

原告多恵子は、被告陽子に対し、原告多恵子と亡唯夫間の前記診療契約の債務不履行に基づく損害賠償金九七六万八八五〇円及びそのうち弁護士費用を除いた八六四万五〇〇〇円に対する債務不履行の日の後である昭和五一年二月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金のうち、被告陽子が相続した四八八万四四二五円及び内金三二万二五〇〇円に対する昭和五一年二月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。また、原告多恵子は、被告博子に対し、右損害賠償金及び遅延損害金のうち、被告博子が相続した二四四万二二一三円(一円未満四捨五入)及び内金二一六万一二五〇円に対する昭和五一年二月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。更に、原告多恵子は、被告五十鈴に対し、右損害賠償金及び遅延損害金のうち、被告五十鈴が相続した二四四万二二一二円(一円未満切捨て)及び内金二一六万一二五〇円に対する昭和五一年二月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

原告勝彦は、被告陽子に対し、原告勝彦と亡唯夫間の前記診療契約の債務不履行に基づく損害賠償金五六五万円及びそのうち弁護士費用を除いた五〇〇万円に対する債務不履行の日の後である昭和五一年二月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金のうち、被告陽子が相続した二八二万五〇〇〇円及び内金二五〇万円に対する昭和五一年二月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。また、原告勝彦は、被告博子及び被告五十鈴それぞれに対し、右損害賠償金及び遅延損害金のうち、被告博子及び被告五十鈴がそれぞれ相続した一四一万二五〇〇円及び内金一二五万円に対する昭和五一年二月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2(一)は認める。

同2(二)のうち、原告多恵子が原告勝彦とともに昭和五一年二月一七日被告医院に原告祥子を連れて行ったことは認め、その時間が午後五時三〇分ころであることは否認し、原告多恵子が同日午後四時五〇分ころ小学校から連絡を受けたこと及び原告多恵子が原告勝彦とともに原告祥子を小学校まで迎えに行ったことはいずれも知らない。原告多恵子が原告勝彦とともに被告医院に原告祥子を連れて来た時間は午後五時ころである。

同2(三)のうち、原告祥子が同日亡唯夫の診察を受けたこと、亡唯夫が同日原告祥子に対しエンスパン注射及びコラミン注射を打ったこと並びに亡唯夫が同日原告祥子を被告医院に入院させたことはいずれも認め、その余は否認する。亡唯夫が原告祥子に対し注射したエンスパンの量は一シーシー、コラミンの量は0.7シーシーであった。原告祥子を入院させたのは、原告祥子に呼吸・循環不全が認められ、その原因を確定しえなかったので、経過観察するためである。

同2(四)は認める。亡唯夫が原告祥子に注射したのは、沈けい剤ルミナール0.8シーシー等である。

同2(五)は認める。

同2(六)は知らない。

同2(七)は知らない。

3  同4(一)(1)アは否認する。亡唯夫は、原告祥子がてんかん患者であることを知らなかったし、また知りえなかった。なぜなら、亡唯夫は原告祥子をその幼少から診察しているが、原告勝彦及び原告多恵子から原告祥子がてんかん患者であるとの訴えを聞いたことがなかったからである。また、仮にてんかん患者にコラミン注射をしてはならないとの注意義務が認められるとしても、コラミンの使用上の注意項目にけいれん性疾患(その代表的疾患がてんかんである)が掲げられたのは、昭和五三年七月からであるから、それ以前の医療水準としては右注意義務を認めるべきではない。

同4(一)(1)イは否認する。原告祥子は、被告医院に来院してきたときには脈拍緊張が弱く、かなりの呼吸不全及び循環不全が認められ、血管拡張剤であるエンスパン一シーシーを皮下注射したにもかかわらず、血管拡張が弱かったためぶどう糖二〇シーシーを静脈注射できなかった。亡唯夫は、右呼吸不全及び循環不全の原因につき確定診断ができなかったため、呼吸促進及び循環改善の救急処置として強心剤及び呼吸興奮剤であるコラミン0.7シーシーを皮下注射したものである。したがって、亡唯夫のエンスパン注射及びコラミン注射は必要かつ相当な治療である。

同4(一)(2)は否認する。原告祥子はけいれん発作必発状態にあったので、原告祥子のけいれんは、注射したか否かにかかわらず、起こったものである。なぜなら、コラミンはけいれん誘発作用を有するニケタミドを含有しているが、けいれん疾患を有していない健康人の場合少なくとも体重一キログラム当たり四〇ミリグラム以上のニケタミドを静脈注射しなければけいれんが発生しないとされており、原告祥子の場合体重一キログラム当たり約五ミリグラムのニケタミドを含有するコラミンを皮下注射したにすぎないから、右注射によりけいれんが発生したとは考えられない。

同4(二)(1)は否認する。ディアゼパムの静脈注射をすると、その副作用として呼吸抑制、低血圧、失語症、歩行障害を発生させることがある。特に、原告祥子に発生したけいれんは強直性発作であるところ、強直性発作を起こした小児に対しディアゼパムの静脈注射をすると、その発作を増悪させることもあるから、原告祥子に第一選択としてディアゼパムの静脈注射をすることは不適当であった。また、仮に重積けいれんを起こした小児に対してディアゼパムの静脈注射をするのが適当であったとしても、そのような医学的知見は昭和五一年当時の地方の開業医の医療水準にまでは至っていなかった。なぜなら、地方の開業医が新しい医療技術及び方法が開発されその知識を得たとしても、これを臨床的に実施するためには、その技術及び方法の訓練を経る必要があるので、なお数年を要するからである。更に、ディアゼパムの静脈注射をする場合にはその副作用に対処するために人的及び物的態勢が整っていることを要し、特に原告祥子の場合には、けいれん直前に静脈注射をするのが難しい状態であったのであり、ディアゼパムは静脈注射によらなければ効果がないから、静脈切開(カットダウン)などの手術的処置の可能な人的物的態勢が整っていることをも要するところ、そのような態勢の整っていない被告医院で原告祥子にディアゼパムの静脈注射を行うことは不可能である。そこで、亡唯夫は、原告祥子にけいれんが起きた原因を把握するためもあって、人的物的設備の整っている八幡浜市立病院に原告祥子を転院させたのであり、その処置は適切であった。

同4(二)(2)は否認する。

4  同5は知らない。

5  同6は認める。

三  原告らの反論

1  原告祥子の容体

原告祥子は、亡唯夫の診察を受けた際には、呼吸不全又は循環不全の状態にはなかった。原告祥子は、原告勝彦及び原告多恵子が小学校に迎えに行ったときには、すでに元気を回復しており、被告医院へ行く際の自動車の乗降、被告医院の診察台での受診及び病室への入室も一人で行っていたものである。また、亡唯夫が原告祥子にぶどう糖注射をしようとしたことはなかった。

2  てんかん症の告知

原告多恵子は、亡唯夫が原告祥子を診察する際に、亡唯夫に対し、原告祥子が過去一度めまいによる失立を起こし、松山市民病院でてんかん症状と診断されていることを告知している。

3  ディアゼパム注射をする必要性

(一) 医療水準

けいれん重積状態の患者に対しディアゼパムの静脈注射をする治療法は、昭和四〇年代前半にわが国の大学病院に導入され、昭和四〇年代後半には一般医師や小児科医向けの専門誌等に次々と掲載され、本件事故当時の昭和五一年には一般開業医の医療水準として右治療法は確立していた。静脈切開(カットダウン)は簡単な処置であり、個人病院でも十分可能な処置であるから、亡唯夫がディアゼパムの静脈注射をできなかったとはいえない。

(二) 副作用

ディアゼパムは副作用が少なく、安全性の高い薬剤である。しかも、その副作用は軽微であるのに対し、原告祥子のけいれんを止めなければ重篤な後遺症を残すこととなるのであるから、仮にディアゼパムによる軽微な副作用の発生が予期されたとしても、ディアゼパムを静脈注射すべきだったのである。なお、原告祥子に発生したけいれんは、強直性発作ではなく、強直・間代発作である。

第三  証拠〈省略〉

理由

一争いのない事実

請求原因1、同2(一)、同2(四)、同2(五)及び同6の各事実、原告多恵子が原告勝彦とともに昭和五一年二月一七日被告医院に原告祥子を連れて行ったこと、原告祥子が同日亡唯夫の診察を受けたこと、亡唯夫が同日原告祥子に対しエンスパン注射及びコラミン注射を打ったこと並びに亡唯夫が同日原告祥子を被告医院に入院させたことはいずれも当事者間に争いがない。また、請求原因3の事実は、被告らが明らかに争わないので、自白したものとみなす。

二事実経過

〈証拠略〉並びに争いのない事実によれば、以下の事実が認められる。

1  原告祥子は、原告勝彦と原告多恵子の長女であり、昭和五一年二月当時八幡浜市立白浜小学校五年生であった。亡唯夫は、小児科を専門とする医師で、当時被告医院を開業していた。原告祥子は、そのころまで被告医院で風邪等の治療を受けており、被告医院をいわゆる掛かり付けの病院としていたものである。

2  原告祥子は、昭和五一年二月一七日午後四時三〇分ころ、小学校の運動場でマラソンの練習をしていたところ、めまいを起こし、その場に倒れた。原告祥子は、その後、保健室に運ばれた。白浜小学校の養護教諭であった蔵田真佐子(旧姓三好)は、原告祥子を保健室のベッドに寝かせた。原告祥子は、顔色が悪く、蔵田真佐子教諭の呼び掛けに反応しない意識不明の状態にあり、その後嘔吐をした。蔵田真佐子教諭は、原告祥子の担任教諭であった木村静彦教諭に連絡し、同教諭とともに原告祥子を看病していた。原告多恵子は、同日午後四時五五分ころ白浜小学校から勤務先に連絡を受け、原告勝彦に連絡をしたうえ、同小学校へ原告祥子を迎えに向かった。原告多恵子は同日午後五時一五分ころ同小学校に着き、原告勝彦も同日午後五時二〇分ころ白浜小学校に着いた。そして、原告多恵子及び原告勝彦は、原告祥子を被告医院に連れていくこととし、白浜小学校の裏門に置いていた原告勝彦の車に行く途中まで原告勝彦が原告祥子をおぶり、その後原告祥子が自ら歩いて原告勝彦の車に乗車した。原告祥子は、原告勝彦が運転する車で被告医院に行った。

3  原告祥子は、同日午後五時三〇分ころ、被告医院に到着し、自ら歩いて被告医院の診察室へ入り、亡唯夫の診察を受けた。亡唯夫は、原告祥子を椅子に座らせたうえで、原告祥子の容体等について尋ねたところ、原告祥子とともに診察室に入室していた原告多恵子が原告祥子が学校で倒れたことなどを答えた。亡唯夫は、原告祥子が以前にもこのような状態になったことがあったか否かを尋ねたが、その答えはなかった。亡唯夫は、原告祥子の全身状態を診、心音を聴診し、胸部を打診し、腹部及び脈拍を触診し、口の中を診たところ、原告祥子の顔色が悪くて元気がなく、脈拍は規則正しくはあるが、弱く、呼吸も荒く、瞳孔反応及び刺激反応が鈍かった。亡唯夫は、原告祥子の被告医院におけるこれまでの治療歴、原告祥子の右状態を総合して、原告祥子が自家中毒ないし脳貧血の状態にあることを主として疑い、また脳の循環障害あるいは自律神経の起立性調整障害等の可能性をも考えたが、確定診断には至らなかった。そこで、亡唯夫は、原告祥子の全身状態を改善することを目的として、硫酸アトロピン、ジプロフィリン及び塩酸ジフェンヒドラミンとの合剤であるエンスパンを投与することとし、看護婦に指示して原告祥子の上腕部にエンスパン一シーシーを皮下注射した。亡唯夫は、心臓に異常があるかないかを確かめるため、原告祥子にレントゲン撮影を行ったところ、原告祥子の心臓は少し肥大していたが、特に異常はみとめられなかった。そこで、亡唯夫は、原告祥子の病気の原因が確定しえず、しかもぐったりした小児の容体が急変することもあることなどから、原告多恵子及び原告勝彦に原告祥子を被告医院に入院させるように勧め、原告多恵子及び原告勝彦もこれを承諾した。

4  亡唯夫は、原告祥子が入院して病室に入室したのち、原告祥子の容体を診るために病室を訪れた。亡唯夫は、原告祥子の容体に変化が無かったので、原告祥子の全身状態を改善することを目的として、五〇パーセントのブドウ糖二〇シーシーを静脈注射しようとしたが、原告祥子の血管が細くて注射できなかった。亡唯夫は、原告祥子の脈が細く、瞳孔反応も鈍いことから、容体が更に悪化することを懸念し、看護婦に指示して原告祥子の上腕部にニケタミド製剤であるコラミン0.7シーシーを皮下注射した。その後、亡唯夫は、診察室に戻り、また、原告多恵子及び原告勝彦は、原告祥子を様子を見に来た木村静彦教諭に任せて、原告祥子の着替え等を取りに自宅へ帰った。

5  原告多恵子及び原告勝彦が原告祥子の着替え等を持って自宅から被告医院の病室に戻ってくると、原告祥子が失禁をしており、同日午後六時ころ、突然激しい全身けいれんを起こした。原告多恵子は、直ちに亡唯夫を呼びに行き、亡唯夫は、看護婦に指示して原告祥子のお尻にけいれん止めである一〇パーセントのルミナール0.8シーシーを注射した。ところが、右注射にもかかわらず、原告祥子のけいれんは収まらず、亡唯夫は更に原告祥子に同様の注射をしたが、やはり右けいれんは収まらなかった。そこで、亡唯夫は、原告祥子のけいれんが脳腫瘍等の脳の異常によるものである疑いをもち、脳波を診るなどの脳の検査が必要であると考え、脳外科のある大洲中央病院に架電したが、専門医がいないと断られたので、脳外科に詳しい高尾恭男医師のいる市立八幡浜総合病院に架電し、同医師に原告祥子の転院を依頼した。そして、亡唯夫は、原告多恵子及び原告勝彦に説明して、その了解を得、原告祥子を右病院に転院させることとした。

6  原告勝彦は、原告祥子を抱いて自己の車に乗せ、自ら運転して原告祥子を市立八幡浜総合病院まで連れていった。原告祥子は、同日午後七時ころ右病院に到着したが、まだけいれんが続いていた。高尾恭男医師は、原告祥子を診察し、けいれんを止めるため、原告祥子に対しフェノバルビタール、ウィンタミンを相当回数投与したが、原告祥子のけいれんは収まらなかった。原告祥子は、同日午後八時五〇分ころ右病院に入院し、同日午後九時ころにはけいれんがやや軽減したが、収まるまでには到らなかった。原告祥子は、その後もけいれんを止める薬の投与を受け、翌一八日午前三時ころになってようやくけいれんが収まった。

7  原告祥子は、けいれんが収まり、安定剤の投与を受けて眠った後、起きてみると、運動失語及び右不全麻痺となっていた。原告祥子は、市立八幡浜総合病院で右運動失語及び右不全麻痺の治療を受けたが、改善しなかった。その後、原告祥子は、右運動失語及び右不全麻痺の治療のため、東京女子医科大学病院、入間川病院、健晃指圧治療院こと金子隆彦、国立大阪病院、愛媛大学附属病院及び総合病院松山市民病院に入通院をし、右足の機能は回復したが、言葉は不自由で、右手は全く使えず、小学校二、三年の知能程度にある。

三原告祥子の後遺症の原因

1  けいれんの原因

原告祥子に昭和五一年二月一七日午後六時ころ発症したけいれんの原因は、〈証拠略〉によれば、原告祥子が当時てんかんを発症し易い状態にあり、そのような状態にある原告祥子にけいれん誘発作用を有するコラミン及びエンスパンが投与されたために、コラミン及びエンスパンの薬効により原告祥子にてんかんを発症させたものであることが認められる。〈証拠略〉によれば、コラミンはニケタミド製剤で、延髄にある心臓中枢を興奮させて間接的に強心作用を発揮する中枢興奮性強心剤であり、ペンチレンテトラゾール等と強心作用機序の分類上併記されて同種のものとされているところ、ペンチレンテトラゾールにはけいれん惹起作用があることから、コラミンにもけいれん惹起作用のあることが推認され、更に、コラミンの注意事項にはけいれんを伴う中毒患者への投与の禁止が掲げられており、しかもコラミンの副作用にはけいれんの発症が掲げられていることをも考慮すれば、コラミンには強直間代性けいれんを引き起こす可能性のあることが認められる。また、〈証拠略〉によれば、エンスパンは硫酸アトロピン、ジプロフィリン、塩酸ジフェンヒドラミンを含有する合剤であるところ、塩酸ジフェンヒドラミンが中枢神経系への賦活作用を有し、脳波の素因性と考えられる発作波を誘発させることがあることが認められる。したがって、原告祥子に投与されたコラミン及びエンスパンのいずれもがけいれん誘発作用を有するのであるから、これらの薬剤が原告祥子のけいれんを発症させた一因をなしていると考えるのが相当である。他方、〈証拠略〉によれば、コラミンやエンスパンの常用量の投与により、けいれんが発症したとの報告は現在までなされていないことが認められる。加えて、原告祥子に投与されたコラミン0.7シーシーの皮下注射及びエンスパン一シーシーの皮下注射は、コラミンの常用量一ミリリットルの皮下注射(ただし、成人に対するもの。〈証拠略〉)及びエンスパンの常用量一シーシーの皮下注射(〈証拠略〉)と同じかあるいはこれを下回っている。そうすると、原告祥子に投与されたコラミン及びエンスパンが原告祥子のけいれんを発症させた一因をなしてるとしても、それら薬剤のみが原告祥子のけいれんの原因であるとするのは妥当ではない。更に、〈証拠略〉によれば、原告祥子はてんかんの発症し易い年齢であったことが認められるので、これらの事実をも考え合わせれば、原告祥子は、てんかんの発症し易い状態にあり、そのような状態にある原告祥子にけいれん誘発作用を有するコラミン及びエンスパンが投与されたために、コラミン及びエンスパンの薬効により原告祥子にてんかんを発症させたものであると考えるのが相当である。

なお、被告らは、原告祥子がけいれん発作必発状態にあったので、原告祥子のけいれんは注射したか否かにかかわらず起こったと主張する。しかし、原告祥子のけいれん発症直前にけいれん誘発作用を有するコラミン及びエンスパンが投与されているのであるから、原告祥子がけいれん発作必発状態にあったことを認めるに足りる特段の事情もなしに、原告祥子のけいれんの発症にコラミン及びエンスパンの薬効が無関係であるとするのは、相当ではない。そして、原告祥子がけいれん発作必発状態にあったことを認めるに足りる特段の事情を認めることはできないから、被告らの右主張は採用しえない。

2  けいれんと後遺症との関係

原告祥子が運動失語及び右不全麻痺となった原因は、〈証拠略〉によれば、原告祥子に昭和五一年二月一七日午後六時ころから同月一八日午前三時ころまで持続して発症したけいれん(けいれん重積)により、脳に損傷を受けたためであると認められる。〈証拠略〉によれば、けいれん重積状態になると、けいれんが脳浮腫を増強させ、脳浮腫が更にけいれんを助長し、繰り返し訪れるけいれん発作中の一時的な呼吸停止による酸素欠乏等により脳障害を生ぜしめることが認められる。

3  後遺症の原因

したがって、原告祥子は、被告医院に到着した昭和五一年二月一七日午後五時三〇分ころにはてんかんの発症し易い状態にあり、そのような状態にある原告祥子にけいれん誘発作用を有するコラミン及びエンスパンが投与されたために、コラミン及びエンスパンの薬効により原告祥子にてんかんを発症させ、このてんかんによるけいれん重積状態が同月一八日午前三時まで続いたため、脳に損傷を受け、運動失語及び右不全麻痺を来したものである。

四亡唯夫の責任

1  投与してはならないコラミンの投与

原告らは、コラミンはてんかん患者に投与してはならず、亡唯夫は原告多恵子から原告祥子がてんかん患者であるとの告知を受けていたのであるから、原告祥子に対してコラミンを投与すべきではなかったにもかかわらず、十分な診察をせずにコラミンを投与した債務不履行があると主張するので、以下検討する。

〈証拠略〉によれば、昭和四七年一〇月、コラミンはけいれんを伴う中毒患者に対しては投与しないことを原則とすることが、コラミンの能書きの使用上の注意に記載されるようになったこと、けいれんを伴う中毒患者とは睡眠薬や一酸化炭素中毒によるけいれんを起こした患者をいい、てんかん患者は含まれないこと、昭和五三年七月コラミンと同様のニケタミド製剤であるレホルミンはけいれん性疾患又はその既往歴のある患者(その代表はてんかん)に対しても慎重に投与することが、レホルミンの能書きの使用上の注意に記載されるようになったことが認められる。したがって、亡唯夫が原告祥子にコラミンを投与した昭和五一年二月一七日当時は、コラミンの使用上の注意においても、けいれんを伴う中毒患者には原則としてコラミンを投与しないこととされていたが、けいれんを伴う中毒患者にはてんかん患者を含まず、また、前記認定のとおりニケタミド製剤の常用量の投与によりけいれんを発症させた事例が報告されたこともないというのであるから、仮に原告祥子がてんかん患者であり、そのことを亡唯夫が知っていたとしても、昭和五一年二月一七日当時、原告祥子にコラミンを投与した亡唯夫の行為をもって、債務不履行であるとすることはできない。

2  投与する必要のないコラミン及びエンスパンの投与

原告らは、原告祥子に対しコラミン及びエンスパンを投与する必要はなかったにもかわらず、亡唯夫は十分な診察をせずにこれらを投与した債務不履行があると主張するので、以下検討する。

〈証拠略〉によれば、コラミンは呼吸興奮作用、強心作用、血液循環改善のために用いられ、またエンスパンは、自家中毒や疫痢、脳貧血の患者に血管拡張やけいれん防止のために用いられることが認められる。そして、前記認定のとおり、亡唯夫は、原告祥子の顔色が悪くて元気がなく、脈拍は規則正しくはあるが弱く、呼吸も荒く、瞳孔反応及び刺激反応が鈍かったため、原告祥子が自家中毒ないし脳貧血の状態にあることを主として疑ったものの、確定診断には至らなかったのであるから、原告祥子の全身状態を改善することを目的として、エンスパンを投与することが不必要な治療であるということはできない。なぜなら、右の時点で原告祥子の病因を確定し得ないことはやむを得ないことであると考えられ、確定診断をしえないからといって原告祥子の症状を改善することを目的として、自家中毒や脳貧血の患者に血管拡張やけいれん防止作用を有するエンスパンを投与し得ないとすることは妥当でないからである。したがって、亡唯夫が原告祥子に対しエンスパンを投与した行為をもって債務不履行であるとは認められない。

また、前記認定のとおり、原告祥子が入院したのち、原告祥子の容体に変化が無かったので、原告祥子の全身状態を改善することを目的とした五〇パーセントのブドウ糖二〇シーシーの静脈注射を原告祥子の血管が細くて注射できなかった場合に、原告祥子の脈が細く、瞳孔反応も鈍いことから、容体が更に悪化することを懸念し、コラミンを投与することが不必要な治療であるということはできない。なぜなら、右の時点でも確定診断はし得なかったのであるが、これはやむを得ないと考えられるし、確定診断し得なくとも原告祥子の症状をこれ以上悪化させず、改善することを目的として、呼吸興奮作用、強心作用、血液循環改善作用を有するコラミンを投与することも相当だからである。したがって、亡唯夫が原告祥子に対しコラミンを投与した行為をもって債務不履行であるとは認められない。亡唯夫は、原告祥子に対しエンスパンを投与して間もなくコラミンを投与しているが、〈証拠略〉によれば、薬の効果が現れる時間は薬の種類、投与の方法、患者の体調等によって左右され、一様でないことが認められるから、必ずしも先に投与した薬の効果が現れるのを待ったのち次の薬を投与すべきであるともいえない。

原告らは、原告祥子はエンスパン及びコラミンを投与するほど全身状態は悪くなかったと主張する。しかし、前記認定のとおり、原告祥子はエンスパン及びコラミンの投与を受ける約一時間前である午後四時三〇分ころ倒れ、意識を失い、嘔吐していたこと、ブドウ糖の静脈注射ができなかったこと、被告医院に入院していることなどから、右主張は採用しえない。また、原告らは、エンスパン及びコラミンの両方を投与することは妥当ではないと主張する。しかし、右主張を認めるに足る証拠はない。

3  けいれん重積に対する治療

原告らは、亡唯夫がけいれん重積状態に陥った原告祥子に対しディアゼパムを静脈注射するなどして右けいれんを止めるべきであったにもかかわらず、これを怠った債務不履行があると主張するので、以下検討する。

〈証拠略〉によれば、けいれん重積状態を止めるための薬物療法としては、従前のフェノバルビタールの筋肉注射が慣用されてきたこと、ディアゼパムは昭和三〇年代後半ころ製造販売が許可された抗けいれん剤であるが、けいれんに対し早く効き、副作用も少ないことから昭和四六年ころから論文等でも推奨されるようになってきたこと、その他に薬物療法としては、抱水クローラル注腸、ミンタールの静脈注射、アレビアチンの静脈注射、アモバルビタールの静脈注射およびフェニトインの静脈注射が論文等で紹介されていること、薬物療法が無効である場合には送管麻酔によることなどの事実が認められる。特に〈書証番号略〉においては、けいれん重積においては、ディアゼパムが第一選択の地位を占めているとしており、〈書証番号略〉には、小児科医には不可欠の薬あるいは常備されるべきであると記載されている。これらの事実に、〈証拠略〉により認められる、原告祥子がけいれんを発症させた当時、亡唯夫はけいれん重積状態にディアゼパムが効くことを知っており、被告医院にディアゼパムを置いていたことをも考え合わせると、少なくとも、亡唯夫は、原告祥子に対しディアゼパムを投与するのが望ましかったというべきである。

しかし、〈証拠略〉によれば、けいれん重積状態にある患者に対し治療をするには脳波等をとりながら行うことが望ましいとされていること、ディアゼパムについても副作用が問題とはされていたこと、医師は使い慣れた抗けいれん剤を使用するのが相当としている文献もあること、ディアゼパムは使用量に限度があり、また使用方法が困難であり、そのためディアゼパムをけいれん重積の治療の第一選択とすべきではないとの意見もあることなどの事実が認められる。また、〈証拠略〉によれば、ディアゼパムを小児に使用するには静脈注射に限られ、静脈注射できないときには静脈切開(カットダウン)をして使用するが、静脈切開は経験のない者には困難であることが認められる。そして、〈証拠略〉によれば、亡唯夫はこの時までディアゼパムを使用したことはなく、原告祥子に対しディアゼパムを使用しなかったのは文献及び他の医師からの情報によりその副作用が心配であったことによるものであることが認められる。更に、調査嘱託の結果によれば、市立八幡浜総合病院は、けいれん重積に対しディアゼパムを使用しなければならないものではないと考えていたことが認められ、したがって同病院も原告祥子に対しディアゼパムを投与していないのである。前記認定のとおり亡唯夫は原告祥子に対しディアゼパムを投与するのが望ましかったとしても、これらの事実を合わせ考えれば、亡唯夫に原告祥子を転院させるなどの措置を採る前にディアゼパムを投与すべき義務があったとまで認めることは妥当でない。

したがって、亡唯夫が原告祥子にけいれんが発症したのち、ディアゼパムを投与していないことから直ちに亡唯夫に債務不履行があるとまでは認められない。そして、前記認定のとおり、亡唯夫は、原告祥子にけいれんが発症したのち、ルミナール(フェノバルビタール)を投与し、それでもけいれんが止まらなかったので、原告祥子のけいれんが脳腫瘍等の脳の異常によるものである疑いをもち、脳波を診るなどの脳の検査が必要であると考え、脳外科の専門医のいる大洲中央病院及び市立八幡浜総合病院への転院の手続を進めており、しかも〈証拠略〉の結果により被告医院から市立八幡浜総合病院までは一〇分程度の距離にあることが認められるから、このような亡唯夫の措置が、最も望ましい措置であったとまではいえないとしても、債務不履行に当たるほど不適切なものであったとは認められない。

4  よって、亡唯夫には、本件診療契約の債務不履行に当たる行為は認められない。

五以上によれば、本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官八束和廣 裁判官細井正弘 裁判官牧賢二)

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